今回、お話を伺ったのは、三浦錬浄(れんじょう)さん。
ふりがなが無いと、どうお読みするのか迷うお名前ですが、それもそのはず、この方は日蓮宗の御住職。
しかも、実家がお寺ではなく、普通の家庭で育った方が「お坊さん」になった方。
お寺といえば、世襲が当り前だと思われる方も多いはず。
そのうえ、まだ「寺」としてカテゴライズされてはいないものの、自宅の中には御堂まで備えてある。
つまり、お坊さんとして「起業」したと言ってよいのではないか。
いったい、なぜ、お坊さんになったのか、なぜ今のようなスタイルになったのか。
根掘り葉掘り聞いてみたいと思います。

はじめまして。勉強不足で恐縮ですが「御住職」と及びすればいいんでしょうか?
三浦、でいいですよ(笑)。
ー わかりました、ありがとうございます。正直、三浦さんのことを伺った時、驚きました。基本的なことですけど、三浦さんのようなお坊さんって多いんですか?
かなり少ないと思いますよ。
お坊さんばかりが入学する大学で勉強したのですが、まわりはみんなお寺の息子ばかりでした。
私のような人間は何人もいなかったんじゃないですかね。
ー お寺の息子さんたちとの距離感というか「何で?」という好奇の視線は感じました?
「なんで?」というのはあったでしょうね。
なかには、自分たちは、お寺の息子に生まれたから、無理矢理この大学に入学させられた。他に選択肢もないからしょうがない、というあきらめ半分で来ている同級生もいたわけですよ。
そういう連中からみたら「自由を捨てて何をやってるの?」という感じでしょうね。
私からしたら「嫌ならやめたらいいのに」と。
同級生たちは、親の跡を継いで(お寺の代表として)檀家さんのところでお経をあげているわけでしょう。
「嫌だな」とか「こんなことやりたくなかったのにな」と思いながらお経をあげられたら、檀家さんも信徒さんもたまったもんじゃないですよ。
だから、当時から私は「そんなに嫌ならやめたらいいのに」って思っていました。
やりたくないことを無理矢理やるのなんて、健康的じゃないし、心を病んでいるお坊さんがお経をあげたところで、誰も救われないでしょう?
あなたが、まず救われなさいよ、と(笑)。

ー やりたくなくて、いやいや仏の道に進む人もいるんですね。
多いと思いますよ。
自分なんかからしたら、家がお寺で、生まれた時からそういう環境にいる人たちは、すごく清い心をもっているんだろうな、と思ってましたが…
ー そんなことはない(笑)?
なかったですねえ(笑)。
まあ、そうじゃない人もいたかもしれませんけど、そういう人たちも大勢いましたよ。
ー 時系列的に少し前に戻りますけど、そもそも、どうしてお坊さんを志したんですか?
少年時代、中学高校では、いまでいう「いじめ」とか校内暴力のようなものがあって(※1980年代、全国の中学・高校では生徒が校内で暴れ回る事件が多発、社会問題化した)、私自身は、いじめることはもちろんしませんけど、いじめられる側にもならなかったのです。
ただ、そういうのを日々、見ているうちに人間関係と言いますか、人付き合いが嫌になってきまして。
だから、当時は仙人になりたいな、と思ってたんですよ。
ー 仙人ですか…?
そうです。人里離れたところに住んで、それこそ霞でも食って、誰とも接することなく生きていけたら、理想的だなと。
もちろん、そういうことは出来ないんですけど、それで、父親からも厳しい物言いをされて、パワハラのように感じることもあり、それに対する反発というのか、ああいう風にはなりたくない、と強く感じる時期がありまして。
その状況から抜け出すため、母親と一緒に神社やお寺を回ったりして…ようするに神仏頼み、ということですけど、特にお寺でお坊さんと話しているうちに、変わってきたんですよ。
特に、あるお坊さんと話したことで救われまして。
学校のいじめでも何も出来ず、自信喪失していたり、何で生まれてきたのか、何をするために生きているのか、ということをものすごく悩んでいたのですが、そのお坊さんから、そういう悩みの全てが、お経の中に書いてある、と教わりまして。
実際、お経を読んで頂いたことで、自分も救われましたから、今度は自分が人のために何かしたいと思うようになりまして。
それで、立正大学の宗学科へ進学、お寺の弟子になってお坊さんになりました。
ー 我々、世間の人間とすれば「就職」ということになるんでしょうけど… ここで、そのまま、ずっとお勤めするわけじゃないんですか?
そうですね、就職したサラリーマンと似ていますよね。
私がいたお寺は本山で、師匠は本山の一番偉い人だったんですが、師匠が亡くなった後、別のお寺から新しい方がいらっしゃって。
本山の一番偉い人が変わると住職は全て入れ替わるんですよ。

ー 全部ですか?
基本的にはそうですね。私の師匠には息子さんがいらっしゃいましたから、普通の流れでは息子さんの弟子になってお勤めを続けるんですよ。
ー でも、三浦さんはそうしなかった?
はい、師匠が亡くなったのをきっかけに、もう少し、自分の力をあげたいといいますか、ひとつひとつの能力を高めていきたかったのです。
当時、読経がとても上手な方がいらっしゃって、そこで勉強させてもらったりして。
もちろん、師匠にはつかなければいけないんですけど、私、いろいろな方の元で修行しまして…多分、日蓮宗の中でもトップクラスの「師匠換え」をやってましたね(笑)。
じゃあ、師匠につかなくていい、というのはどういうことか、となりますと、やはり一寺を構えるというのか、自分が責任者となることですよね。

ー 我々一般社会でいう起業みたいなものですよね。三浦さんの場合、どういう一日というか日々になるのでしょう?
起きた後は、朝のおつとめを2時間ですかね。
それが終わると、葬儀屋さんにあいさつ回りに行っていました。
ー それって、世間一般でいう営業ですよね? 大変じゃなかったですか?
普通のビジネスだと営業って大変ていうイメージあると思うのですが、お坊さんだと適当にあしらわれることはなかったですね。
こういう出で立ち(法衣)でお邪魔するわけですから、変な風に対応はされなくて。
とりあえず、話は聞いてくれましたね。
最初はすごくドキドキしましたけど(笑)。
葬儀屋さんも、まさかお坊さんが営業に来るとは思いませんから「わざわざありがとうございます」と(笑)。
そういうものなんだ、と気づいてからは、割と楽になりましたけどね。

ー 葬儀屋さんもビックリですよね(笑)。
でしょうね。何で坊さんが来てるの?てな感じで(笑)。
お坊さんのままの感覚で「何で(葬儀屋が)うちに挨拶に来ないんだ」とふんぞり返っていたらダメだったでしょうね。
多かれ少なかれ、そういうプライドを持ったお坊さんは多いと思います。
あいさつ回りしている時、飛び込みで入ったある葬儀屋さんで「お金が無くて葬儀があげられない方がいる」と相談されまして。
しかも、葬儀屋さんがまた情のある方でお金のない遺族のために「私が払いますから、お願いできませんか」とお願いされまして。
それじゃあ、ということでお経をあげさせて頂いた縁で、その後も何度かお願いされたりしまして。
ー 普通のお寺さんから見ると、三浦さんがやってらっしゃることってどう映ったんですかね?
立ち上げる前は、仙台駅前で托鉢していましたから、そうすると知り合いのお坊さんなんかにも会うわけですよ。
ただ日蓮宗で托鉢やっている人はいなくて、競争相手も居ないので、バッティングもしませんね。
葬儀屋さんへのあいさつ回りなども「なんか変わったことやってるな」くらい(笑)。
ー ただ、人口減、過疎化、お寺も後継者不足になって、転換期が来ていると思うのですが…
まさにその通りです。
例えば、お金がないから葬儀を出せない、という人の受け皿として「お坊さん便」というのが出来て。
それに対して、お坊さんたちが応えているのかというとそんなことはない。
御布施だって気持ちですから、こちらから指定するわけじゃないのに「その金額じゃ出来ない」というのはおかしい。
ましてや、嫌々ながらお経をあげたら、本当に失礼だし、遺族だってそんな風にやられたら、たまったものじゃないですし。
実は読経して、亡くなっている方が、喜んでいるかどうか、確認する方法がひとつあるんですよ。

ー え、そうなんですか?
もちろん、亡くなっているわけですから、あの世から「ありがとうございました」て声が聴こえるとかそういうんじゃないですよ(笑)。
聴いて下さっているご遺族が、後から「今日は本当にありがとうございました」って言ってくれるんです。
ちょっと話は脱線するんですけど、昔、一休さん※が、葬儀でお経を読んで下さい、と言われたのですが、目の前の御遺体を棒でつついて「なるほど、確かに死んでいるな」と。
「死んでしまった者には、お経を読んでもしょうがないので、帰る」と言い残して帰ってしまったそうです。
御釈迦様は、生きている我々の悩みを解決するためにお経があるのであって、亡くなった人のためではないですよ、という意味なんですけど、お経の深い部分までは理解できなくても、最後の最後、ありがとうございました、とてもよかったです、と声をかけて頂くということは、ご遺族もそうだし、亡くなられた方にも通じたんじゃないかな、と思うんです。
それが、私たちにとってのやりがいになりますよね。
※「好き好き好き…」の主題歌で覚えている方も多いだろう。とんちと茶目っ気たっぷりの小坊主だが、実在の一休さんは、室町時代、臨済宗大徳寺の高僧として大出世する一方、腐敗して権威ばかり振るう当時の禅院に敢然と立ち向かう骨のある僧侶だった。号は狂雲、諱(いみな)は宗純。
ー 読者のために、再度、確認させてください。もし、お坊さんになりたい、という場合はどうしたらいいんでしょう?
日蓮宗の私はこうだった、という話になりますけど…
まず師匠となる人を見つけます。
10代であれば、私のように大学で勉強をして、お坊さんとしての資格を身につけることですよね。
ー お坊さんのお名前も一様に特殊ですよね。これはどの時点で名乗るんですか?
家がお寺だとお坊さんになるのが前提なので、そういう名前になります。
小さい時は、音訓の読み方を変えて、普通の家の子と変わらない感じで呼ばれたりします(※)。
ただ、私の場合は、戸籍上も改名しました。
※表記文字を変えなければ、各市町村役場でフリガナを変えることが出来る。一方おなじ読み方でも「一郎」を「伊知郎」など表記を変える場合、家庭裁判所で正当な事由であると認められた場合でなければ、変更できない。
ー こういう聞き方をしていいのか分かりませんけど、今後の目標といいますか、こういう風にしていきたい、ということはありますか?
みなさんのお役に立ちたい、というのが根底にあり、自宅をこのようにしました。

結社、という肩書なのですが、宗教施設としてのお寺は「寺院」「教会」「結社」の、分かりやすく言えば大、中、小になっています。
寺院だと檀家さんに対してお墓もっていて、教会、結社は信徒の方々に対して布教する施設となります。
墓地以外のことは、出来ることにそれほど違いはないのですが、やはりお骨の問題もありますからね。
散骨だったらいいんですけど、お骨をお墓に入れることは寺院じゃないと対応できないんです。
御墓のことに対して悩まれる方も多いのも事実です。
たとえば、未だにお骨をどうにも出来ない方もいて、そういう人が高齢になって亡くなると、またお骨が増えて。
遺された家族や親せきがお骨を邪魔ものみたいにするのは良くないでしょう。
誰でも納められるところがあれば、お骨に対しても、きちんとできるでしょうし。
そういうことにも寺院であれば対応できるのか、と思っている部分はありますよね。
ー 宝物は何ですか?
庭の石塔です。
以前は秋田県の日本山妙法寺秋田道場にあったものなのですが、そこが解体され、更地になった時、地面の中から瓶に入った経石が出てきたんです。
石には南無妙法蓮華経…から始まる法華経がひとつずつ書かれていまして、それが約7万の文字ですから、同じ数の石が入っていまして。
これが、直接、何かを生み出すものではないのですが、そこに込められた人の気持ちというのは確かにあるわけですから、ないがしろには出来ないわけですよ。
なので、これを運んでもらって、ここに建てました。


世襲としてではなく、ごく普通の家庭に生まれ育ち、自らの意思で「僧侶」という道を選んだ三浦さん、もとい錬浄住職。
お坊さんとして、歩んでこられた道も、決して平たんではなかったという。
そういう苦労を重ねてきた方だからこそ、世間一般の人々が抱える悩みにも、近い感覚で寄り添ってくれるのではないだろうか。
実際、我々が「聞いていいのか分かりませんけど…」とおそるおそる尋ねる質問にも、気さくに答えて頂いた。
たくさんの檀家が寺を支えてきた時代は過去のものとなり、無住寺が増え続けている昨今、原点に還り、ひとりひとりと向き合う姿勢こそ、現代の「お坊さん」には求められている気がした。
(執筆: 竹田)
ひと:三浦錬浄さん
しごと:浄温結社
ところ:〒983-0005 宮城県仙台市宮城野区福室2丁目1−10
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